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最高裁判所第一小法廷 昭和56年(行ツ)31号 判決

上告人 上月一男

被上告人 荻窪税務署長

訴訟代理人 古川悌二

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告人の上告理由について

本件訴えを不適法とした原審の判断は、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、独自の見解に立つて原判決を論難するものであつて、採用することができない。

よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判官 団藤重光 藤崎萬里 本山亨 中村治朗 谷口正孝)

上告理由

原判決は、判決に影響を及ぼすこと明なる法令の違背がある。

すなわち、原判決は、第一審判決理由を引用して、本件訴えを行政事件訴訟法(以下行訴法と略称する)三六条の定める原告適格を欠く不適法なものと断定しているが、右認定は、左記のとおり、法令の解釈を誤つており、違法であつて破棄さるべきである。

(一) 原判決は、その理由として「一般に、無効な行政処分については、いわゆる公定力は認められず、何人も、裁判所において当該行政処分の取消し又は無効確認の判決を得るまでもなく、当該行政処分の無効を主張することができるものである。そして、このことは、所得税の税額の更正のように技術的で複雑な行政処分であつても、それが無効なものである限り、異なるところはない」と説示している。右説示に従うと、行政処分の公定力とは、裁判所において当該行政処分の取消し又は無効確認の判決を得なければ、当該行政処分の無効を主張することができないものということになり、行政処分にはこのような公定力がないから、裁判所に当該行政処分の無効確認を求める実益がない、すなわち、確認の利益がないということになる。それでは、当該行政処分の無効を主張してその無効確認を求めるすべての訴えが不適法なものとして却下されるのではないかという疑問が生ずるのである。ところが、行訴法三条四項によると、この法律において「無効等確認の訴え」とは、処分若しくは裁決の存否又はその効力の有無の確認を求める訴訟をいうと規定し、行政処分の無効確認等を求める訴を許しているのであつて、原判決には承服し難い。

更に、原判決は所得税の税額の更正処分についても異なるところはないというけれども、国税通則法は、国税についての納付すべき税額の確定の方式について、同法一六条一項一号において、申告納税方式とは納付すべき税額が納税者のする申告により確定することを原則とし、その申告がない場合又はその申告に係る税額の計算が国税に関する法律の規定に従つていなかつた場合その他当該税額が税務署長又は税関長の調査したところと異なる場合に限り、税務署長又は税関長の処分により確定する方式をいうと規定している。右規定によつて明かなように、税務署長の所得税更正決定は所得税の税額を確定するのである。そしてこの確定された税額について、当該納税者がその税額を納入しないときは、国税徴収法に基づいて滞納処分を受け、その財産を差押えられ、公売に付されて換価されるのである。これは公法上の強制執行であるけれども、その法律効果において、民事上の強制執行と異なるところがない。この場合、税務署長の所得税更正決定通知書は、民事上の強制執行における債務名義に該当する。このような強大な公権力の行使が、なんらの確定力を伴わない行政処分によつて行われるとは到底信じ難い。若し、当該納税者が、税務署長の更正決定を無効とし、右決定に基く滞納処分を無効として、その処分を妨害したならば、直ちに、公務執行妨害の罪に問われることになるであろう。由是観之、所得税の更正決定は、強力な確定力を有するものであつて、その確定力を排除するためには、当該処分庁の決定、若しくは、裁判所の判決を必要とすると考えられるが、仮にそうでないとしても、無効確認訴訟の対象となるものと解すべきであつて、これを否定した原判決は法律の解釈を誤つている。

(二) 原判決の引用する第一審判決理由によると、上告人が昭和五四年二月二六日に本件各課税処分によつて確定した税金全額を納入したことによつて、上告人が本件課税処分に続く処分により損害を受けるおそれがないことは明かであると認定している。しかし、上告人は、本件各課税処分に続く差押処分によつて損害を蒙つているのである。

被上告人は、本件各課税処分即ち各更正決定において、所得税法三八条一項により、譲渡所得の金額を計算する場合には、譲渡資産の取得費を控除すべきであるのに、取得費を控除しなかつたのみでなく、右違法な各更正決定に基づく差押処分によつて、上告人に損害を与えているのである。損害をうけるおそれとは、損害の発生を未然に防ぐ場合のみでなく、既に蒙つた損害の回復を妨害されるおそれのある場合も包含すると解すべきである。若し、そうでないとすると、本件の場合のように、被上告人の違法な差押えによる不利益を免れるため、やむなく、被上告人の要求する税金を支払つた上告人の国民としての権利が保障されないことになる。故に、損害が回復されない違法状態が存在する限り、その損害の根源である行政処分、すなわち、本件所得税更正決定の無効確認を求めることが訴訟上認められるべきであり、従つて、本件訴えは適法である。

(三) 次に、行訴法三六条は、当該処分又は裁決の無効等の確認を求めるにつき法律上の利益を有する者で、当該処分若しくは裁決の存否又はその効力の有無を前提とする現在の法律関係に関する訴えによつて目的を達することができないものについても訴えの提起を認めている。上告人が、前記損害の回復を求めるという意味で、確認を求めるにつき法律上の利益を有することについては疑問の余地がない。そこで「現在の法律関係に関する訴えによつて目的を達することができないもの」に該当するか、どうかということが問題になる。この点について、原判決の引用する第一審判決理由は、上告人が被上告人に対して納付済税金の不当利得返還訴訟を提起できるとして本件訴えにおける上告人の原告適格を否定している。しかし、この規定を文字どおり解釈すると極めて不合理な場合が生じてくる。例えば、国が農地法によつて農地を買収し、これを第三者に売払つた場合に、旧地主が、国を被告として右農地買収処分の無効を前提として、買収による所有権移転登記の抹消を求めて勝訴しても不動産登記法一四六条一項によつて、右第三者の承諾書がなければ抹消手続を行えないので、土地所有権を回復するという目的を達することができないことになる。そこで、このような事案は、右行訴法三六条の「現在の法律関係に関する訴えによつて目的を達することができないもの」に該当するものとして、旧地主が買収処分の無効確認を訴求し、勝訴しても、行訴法三八条は無効確認訴訟について同法三二条一項の第三者に対する効力の準用規定を除外しているので全く無駄な訴訟を行つたという結果になるのである。

凡そ、違法な行政処分を行つたとして訴えられた国家機関が裁判によつて、違法の有無を明かにしないで、これを回避するというようなことは、法治主義の見地から疑問である。故に、右行訴法三六条の規定は、前記設例のように、既に、争訟の対象が第三者の権利に移転し、処分庁を被告とする訴訟によつては、その目的を達することができないものを除いて、その他の訴訟はすべて適法と認めた趣旨に解すべきである。

(四) その他、本件訴えを適法とする理由については、原判決事実摘示の控訴人の主張と同一であるからこれを引用する。

(五) 行訴法七条によつて、民事訴訟法一八四条の規定が行政訴訟に準用されるものと解せられるのであるが、本件無効確認等の訴えは、被上告人に対する過誤納金還付請求(国税通則法五六条一項は税務署長の過誤納金還付を認めている)の前提をなすものである。そうすると、原判決によると被上告人に対して過誤納金還付請求訴訟を提起した場合には、その中間判決として、本件各更正決定の無効確認について判決を受け得るが、独立して無効確認訴訟は提起できないということになる。本件争訟は、本件各課税処分の無効が確認されれば、過誤納金の還付はおのずから達成できる関係にあるのであつて、本件各更正決定の無効原因について既に十分の審理が行われているにかかわらず、これらの審理の一切を無駄にするということは、訴訟経済上甚表しく不当のことである。訴訟手続法規は、訴訟が迅速、公正に行われることを保障するものであるが、原判決は甚々しくこの基本的要請に背馳しており、違法である。

【参考】原審判決(東京高裁昭和五四年(行コ)第一〇六号昭和五五年一一月一八日判決)

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は、控訴人の負担とする。

事実

控訴人は、「原判決を取り消す。本件を東京地方裁判所に差し戻す。」との判決を求め、被控訴人は、主文一項同旨の判決を求めた。

当事者の主張及び証拠の関係は、控訴人が「一 所得税更正処分無効確認訴訟には、行政事件訴訟法(以下「行訴法」と略称)三六条は適用されるべきではない。本件の如き所得税更正処分及び再更正処分は、いずれも官吏が公権力の行吏としてなす行政処分であるから、いわゆる行政処分の公定力たる効力を有する処分である。それゆえ右各処分は、行政訴訟上取消しの対象となるもので、右取消しの訴訟によつて取り消されるまでは処分の内容たる効力を一般国民に対し有するものである。右は抗告訴訟のうち処分の取消しを求める場合だけに限るものではなく、行政処分に重大明白な瑕疵ありとして処分の無効確認を求める訴訟が提起できる場合についても同様に解すべきもので、一度なされた更正処分は無効確認訴訟で無効が確認されるまで一応の効力を保持するものと解するのが相当である。それゆえ本件更正処分自体が無効として直接排除されない限り、不当利得返還請求訴訟で勝訴判決を得ることはできない。また、もし行政処分の無効確認訴訟においては、常に公定力の問題は起こり得ないとすれば、所得税の更正処分のような極めて技術的で複雑な行政処分は、それを無効とする判決がなされない限り、一般国民並びに関係行政官庁もこれを有効として取り扱うことになる実情と合わぬこととなり、かつ、問題が生じるごとにいちいち国との間に私法上の訴えを起こし、裁判所により、前提たる行政処分の有効、無効が各別に判断されなければならず、手続の無駄を免れぬであろう。それゆえ少なくとも税務関係の無効確認訴訟については、行訴法三六条の適用は差し控えるべきである。二 本件訴訟の経過から見て少なくとも本件については、行訴法三六条は適用されるべきでない。本件無効確認の訴えは昭和四九年中に提起され、形式的には適法なものとして当事者双方の実質的主張がなされて来た。ところが控訴人が昭和五四年二月に至り本件更正処分に係る滞納税金額を被控訴人に全額支払つたため、被控訴人はここに行訴法三六条により控訴人の当事者適格を否定する主張を初めて行つたのである。しかし控訴人が右滞納税金を支払つたのは、決して被控訴人の本件更正処分の正当性を認めて追認的に支払つたのではなく、右更正処分に基づき被控訴人が控訴人所有の不動産を差し押え、控訴人に右不動産を利用する道が閑ざされたためである。控訴人はやむを得ず、右差押えの解除を受ける必要から一応滞納とされた税金額を支払う措置を講じたに過ぎない。控訴人が本件滞納税金額を支払つたのは、無効確認訴訟のための主張や証拠の申出を尽くした後であり、その段階で不当利得返還請求の訴えに切りかえるためには、新たな訴状提出や当事者変更の申立てをする必要があり、手続はさらに遅延、複雑化することは明らかである。これに反し、もし前提の更正処分の無効事由につき直ちに審理され、仮に無効が確認されたならば、被控訴人は、行政官庁であるから不当な更正処分に基づき収納した税金額は進んで任意に返還する措置に出るであろう。この点は、税関係以外の行政処分の無効であれば、無効の結果発生する他の訴えが私人間の訴訟となる場合と趣を異にするところである。とにかく本件の如き訴訟の推移においては、行訴法三六条により控訴人の当事者適格が否定されるべきではない。」と述べ、被控訴人が「控訴人の右主張を争う。」と述べたほかは、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

理由

当裁判所も、控訴人の本件訴えは不適法であつて却下を免れないものと判断するものであるが、その理由は、次のとおり付加するほか、原判決理由と同一であるから、これを引用する。

一 控訴人の当審での一の主張について

一般に、無効な行政処分についてはいわゆる公定力は認められず、何人も、裁判所において当該行政処分の取消し又は無効確認の判決を得るまでもなく、当該行政処分の無効を主張することができるものである。そしてこのことは所得税の税額の更正のように技術的で複雑な行政処分であつても、それが無効なものである限り、異なるところはない。それゆえ、右と反対の前提に立つて、所得税更正処分無効確認訴訟には行訴法三六条は適用されるべきでない、あるいは、その適用を差し控えるべきである、という控訴人の当審での一の主張は採用できない。

二 控訴人の当審での二の主張について

控訴人は、本件訴訟の推移及び訴訟進行中やむを得ず滞納税額を納付するに至つた経緯にかんがみて、控訴人に本件無効確認の訴えの原告適格を認めることが訴訟経済に適する旨並びに本件各課税処分の無効確認が得られるならば、被控訴人は進んで任意に過誤納金を還付することが期待される旨主張し、少なくとも本件には行訴法三六条を適用すべきでないという。しかしながら、元来、訴訟経済の問題は当事者適格の問題とは別個であるのみならず、行訴訟法三六条の規定は、無効等確認の訴えの原告適格につき特に厳格な要件を設け、右訴えを予防的又は補充的手段としてのみ認める趣旨のものと解されるので、課税処分を受けていまだ当該課税処分にかかる税額を納付していなかつた者が、右課税処分の無効確認を求める訴を提起した後、右課税処分による税額を納付したときも亦、右の者は原判決理由二(原判決書二一枚目表二行目から同裏四行目まで(編注参照))に説示するところにより、右訴えの原告適格を失うものと解するのが相当であり、したがつて本件訴訟の推移及び滞納税額を納付した経緯がたとえ控訴人主張のとおりであつたとしても、控訴人の右主張を容れることはできないと考える。

よつて原判決は相当であり、本件控訴は理由がないから、行訴法七条に基づき民事訴訟法三八四条一項の例によりこれを棄却することとし、控訴費用の負担については、行訴法七条に基づく民事訴訟法九五条、八九条の例により、主文のとおり判決する。

(裁判官 林 信一 宮崎富哉 石井健吾)

(編注)

原告は本件各課税処分の無効確認を求めているが、原告が昭和五四年二月二六日に本件各課税処分によつて確定した税金全額を納付したことについては当事者間に争いがない。そうすると、原告が本件課税処分に続く処分により損害を受けるおそれがないことは明らかである。また、原告としては、本件各課税処分が無効であることを前提として、直ちに、右納付済税金の不当利得返還訴訟を提起することができ、この訴訟において、その前提問題として本件各課税処分の無効原因たる一切の瑕疵を主張して審理を受けることができるのであり、かつ、これによつて目的を達することができるのであつて、原告主張のように本件各課税処分の無効確認訴訟によつてあらかじめ本件各課税処分の無効を確認する確定判決を得ておかなければ右不当利得の返還を請求することができない関係にあるわけではない。

そうすると、本件更正処分と本件再更正処分の関係をどのようにみるかはともかくとして、その無効確認を求める本件訴えは、いずれも行政事件訴訟法三六条の定める原告適格を欠く不適法なものとして却下を免れない。

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